北大西洋に浮かぶ火と氷の国アイスランド。厳しい気候と豊かな海の恵みに囲まれたこの国には素朴ながらも人々の心を温める伝統料理が数多く存在します。その中でも「プロックフィスクル」は余った魚とジャガイモを活用した質素な漁師の食事から今や国民的コンフォートフードへと進化した料理です
大阪万博でもちょっと話題になっているこの料理はアイスランドの食文化を象徴するとともに北欧料理の魅力をも伝えてくれることでしょう。
ということで今回は日本ではあまり知られていないこの料理の魅力に迫ります。
プロックフィスクルとは
基本概念と特徴
プロックフィスクル(Plokkfiskur)は直訳するとマッシュド・フィッシュを意味するアイスランドの伝統料理です。茹でた白身魚と茹でたジャガイモを混ぜ合わせベシャメルソースで和えた料理でキャセロール(耐熱容器で焼いた料理)のように調理される場合もあれば濃厚なチャウダーのようにコンロで仕上げる場合もあります。
シンプルな材料で作られるこの料理はもともと漁師とその家族の実用的な日常食として始まりました。余った魚やジャガイモを無駄にせず活用する知恵から生まれた料理なのです。しかし今日ではアイスランドの家庭料理の代表格として愛されるだけでなく高級レストランのメニューにも登場するようになっています。
プロックフィスクルの魅力は何と言ってもその食感と風味の調和にあります。ふんわりとした魚の繊維とまろやかなジャガイモ、そしてクリーミーなソースが一体となって素朴ながらも奥深い味わいを生み出すのです。シンプルな材料と調理法でこれほど心を満たす料理が生まれることに驚かされるでしょう。
歴史的背景と文化的意義
プロックフィスクルの歴史は海洋資源に大きく依存してきたアイスランドの漁業文化と深く結びついています。厳しい環境の中で生きるアイスランドの人々にとって魚は生命を維持するための重要な食料源でした。プロックフィスクルは貴重な魚を余すことなく活用する知恵から生まれたのです。
20世紀初頭のアイスランド料理本にもすでに掲載されていたという記録があり長い歴史を持つことがわかります。当初は質素な日常食だったこの料理は時代とともに進化し今では特別な日の食事やお祝いの席にも欠かせない存在となっています。
アイスランド文化においてプロックフィスクルは単なる食べ物以上の意味を持っています。家族の集まりや祝日、地域の祭りでよく提供されるこの料理は人々の絆を深める共同食の一部として機能しているのです。また近年では「最高のプロックフィスクル」を競うコンクールも開催されるようになり伝統を守りながらも創造性を発揮する場となっています。
アイスランド人にとってプロックフィスクルは故郷の味を象徴する料理のひとつであり遠く離れた地にいてもこの料理を食べれば故郷を思い出すことができるといわれています。まさに「ソウルフード」と呼ぶにふさわしい存在なのです。
材料と調理法
主な材料とその選び方
プロックフィスクルの主役は何と言っても魚です。伝統的にはタラやハドックといった白身魚が使われますが、オヒョウなど他の種類の魚を使うバリエーションも存在します。新鮮な魚を使うのが一般的ですがかつては塩漬けや干物を使った家庭もあったようです。
魚の選び方としてはマッシュポテトと混ぜ合わせたときにふんわりとした食感を保てる白身魚を選ぶのがポイントです。身がしっかりとしていながらも火を通すと適度にほぐれる種類が理想的です。アイスランドではその日に獲れた新鮮な魚を使うことが多いですが、冷凍の白身魚でも十分美味しく作ることができます。
もう一つの主役であるジャガイモの選択も非常に重要です。ジャガイモには大きく分けて煮崩れしにくい「粘質(ワックス質)」と煮崩れしやすい「粉質(デンプン質)」の2種類があります。プロックフィスクルではレシピによって好みが分かれるところですが、形状を保持する粘質のジャガイモを使うバージョンとソースにとろみをつけるために粉質のジャガイモを好むバージョンがあります。
その他の材料としては玉ねぎ、バター、小麦粉、牛乳、塩、胡椒が基本となります。現代のレシピではディルやチャイブといったハーブやパプリカやカイエンヌといったスパイスを加えることもあり、シンプルな基本の味に複雑さを加えています。また仕上げにチーズをのせて焼くバリエーションも人気があります。
伝統的な調理プロセス
プロックフィスクルの調理は基本的に以下のステップで進みます。
まず最初に魚とジャガイモを別々に茹でます。魚は水から茹でるのが一般的で沸騰する直前に火を弱め魚の身が柔らかくなるまでやさしく茹でます。この時、塩とローリエの葉を加えると魚の旨味が引き立ちます。
ジャガイモは皮をむいて一口大に切り塩水で茹でます。竹串がすっと通るくらいの柔らかさになったら火を止め水気を切っておきます。魚も茹で上がったら骨と皮を取り除き大きめのフレーク状にほぐしておくとよいでしょう。
次にベシャメルソースを作ります。フライパンやソースパンにバターを溶かしみじん切りにした玉ねぎを透明になるまで炒めます。ここに小麦粉を加えて弱火で炒め小麦粉の生臭さがなくなったら少しずつ牛乳を加えてなめらかなソースに仕上げます。最後に塩、胡椒で味を調えます。
そしてこのソースに茹でた魚とジャガイモを加え優しく混ぜ合わせます。このとき魚を潰しすぎないように注意するのがポイントです。ここで終わらせればクリーミーなチャウダーのような仕上がりになります。
キャセロールタイプのプロックフィスクルを作る場合はこの混ぜ合わせた具材を耐熱皿に移しチーズをのせてオーブンで焼きます。表面が泡立ちきつね色になれば完成です。余熱で中までしっかり温まるため食べる直前まで取り出さないのがコツとなります。
こちらの方が紹介しているのはアイスランドの歌姫ビョークのレシピとのこと。
(ビョークはダンサー・イン・ザ・ダークなどで有名な歌手です。2000年代前半は日本でもかなりの知名度があったので知っている人も多いのではないだろうか)
食べ方とバリエーション
伝統的な食べ方とペアリング
プロックフィスクルはアイスランドでは伝統的に「リューグブロイズ(rúgbrauð)」と一緒に食べられます。リューグブロイズとはアイスランドの伝統的なライ麦パンで濃厚でほのかに甘味があり、クリーミーなプロックフィスクルとは対照的な風味と食感を提供してくれます。
このライ麦パンはかつては地熱を利用して地面の中で一晩かけて焼かれていたという独特の製法を持っています。今でもアイスランドの一部の地域ではこの伝統的な方法でパンを焼く家庭もあるそうです。濃厚な味わいとしっとりとした食感はプロックフィスクルのクリーミーさを引き立てる絶妙の組み合わせなのです。
またプロックフィスクルはメインディッシュとして単体で楽しまれることが多いですがサイドディッシュとして他のアイスランド料理と共に提供されることもあります。例えば「ハンギケット」と呼ばれるスモークラムや勇気のある方なら「ハカール」と呼ばれる発酵サメなどと共に食べられることもあるようです。
飲み物との相性も重要でアイスランドの伝統的な乳製品飲料「スキル」や地元のビール、特に「ヴィーキング」や「ゴール」といったブランドのものが良く合うといわれています。暖かい料理なので冬の寒い日には特に心温まる一品となるでしょう。
地域や家庭による違い
プロックフィスクルは基本的な材料と調理法は全国共通していますが、地域や家庭によって様々なバリエーションが存在します。それぞれの家庭で受け継がれるレシピがあり、それが家族の歴史となっているのです。
例えばアイスランドのウェストフィヨルド地方ではネギやニンジンなどの野菜を加えるのが一般的です。この地域は特に漁業が盛んで新鮮な魚が手に入りやすいことからプロックフィスクルの文化が特に深く根付いているといわれています。
沿岸部の家庭ではその日に獲れた地元の魚を好んで使うため場所によって使われる魚の種類が異なりそれぞれに独特の風味を持っています。また内陸部では伝統的に塩漬けや干物の魚を使うことが多くこれもまた違った味わいを生み出しています。
現代ではアイスランドのスーパーマーケットでも惣菜コーナーにプロックフィスクルが並ぶようになり忙しい現代人でも手軽に伝統的な味を楽しめるようになってきました。しかし多くのアイスランド人は「本当に美味しいプロックフィスクルは家庭で作られるもの」と考えているようです。
現代におけるプロックフィスクル
レストランでの進化と創造性
かつては質素な家庭料理だったプロックフィスクルですが今ではアイスランドの高級レストランでも提供されるようになっています。シェフたちは伝統的なレシピをベースにしながらも自分なりの解釈や創造性を加えプロックフィスクルに新たな命を吹き込んでいるのです。
レイキャビクを中心とした都市部のレストランでは地元で獲れた高級魚を使ったり地元の酪農家から仕入れた特別なバターやチーズを使ったりと素材にこだわったプロックフィスクルを提供しています。またプレゼンテーションにも工夫を凝らし伝統料理に現代的な美しさを加えているのです。
中には伝統的なリューグブロイズの代わりにパリパリのパンの器の中にプロックフィスクルを入れて提供するレストランもあります。見た目の美しさと食感の対比を楽しむこのようなアレンジは観光客に特に人気があります。
またアイスランド料理のコンクールにもプロックフィスクルの部門があり、アマチュアからプロのシェフまでが味のバランス、食感、盛り付けなどの基準で審査され最高のプロックフィスクルのタイトルを競い合っています。このような場では伝統を尊重しながらも創造性を発揮した作品が高く評価されるようです。
国際的な認知度と他文化への影響
プロックフィスクルはアイスランドの国民食といえる存在ですが近年ではインターネットやメディアの発達、そして観光産業の成長により国際的にも少しずつ知られるようになってきました。
北欧諸国には特にファンが多く、スウェーデンでは地元のヴェステルボッテン・チーズを使ったバージョン、ノルウェーではクリプフィスク(塩漬け干しタラ)を使ったバージョンなど独自のアレンジが生まれています。アイスランド料理の中でも比較的取り入れやすい料理として親しまれているのですね。
またアイスランド人の移民がいる北米地域では地元の食材を取り入れたプロックフィスクルが家庭料理として受け継がれています。例えばカナダのニューファンドランド州では地元で獲れるコッドを使ったバージョンが人気だそうです。
世界のほとんどの国と同様に、日本でもほぼ知られていませんが白身魚とジャガイモという素材は日本人の味覚にも合いやすいはずです。和風のアレンジとしては出汁ベースのソースやねぎや生姜といった薬味を加えるとおいしいかもしれません。具材はメジャーなものですし、国を超えて愛される料理への可能性を秘めているといえるでしょう。
プロックフィスクルを家庭で作るためのヒント
基本のレシピ
ご家庭でも簡単に作れるプロックフィスクルの基本レシピをご紹介します。
【材料(4人分)】
白身魚(タラかハドックがおすすめ):500g
ジャガイモ:500g
玉ねぎ:1個
バター:50g
小麦粉:大さじ3
牛乳:500ml
塩、胡椒:適量
ローリエの葉:1枚
お好みでチーズ:100g
【作り方】
魚は一口大に切り塩水とローリエで優しく茹で骨と皮を取り除きます。
ジャガイモは皮をむいて一口大に切り塩水で茹でます。半分はそのまま半分は軽くつぶしておくと良いでしょう。
フライパンにバターを溶かしみじん切りにした玉ねぎを透明になるまで炒めます。
小麦粉を加えて弱火で1〜2分炒め小麦粉の生臭さがなくなったら少しずつ牛乳を加えてなめらかなソースを作ります。
塩、胡椒で味を調え茹でた魚とジャガイモを加えて優しく混ぜ合わせます。
オーブン対応の器に移しお好みでチーズをのせ200℃のオーブンで表面がきつね色になるまで15〜20分焼きます。
熱々のうちにパンと共に召し上がってください。
よくある質問(FAQ)
日本でプロックフィスクルを作る場合、どんな魚がおすすめですか?
タラやスケトウダラが最も近い味わいになりますが入手しやすさを考えると真鱈や鱈の切り身が良いでしょう。
またメルルーサやスケトウダラなどの冷凍白身魚フィレも使いやすいです。どの魚も淡白で柔らかく茹でると適度にほぐれる性質を持つものが理想的です。
ベシャメルソースがうまく作れません。コツはありますか?
ベシャメルソースのポイントは小麦粉とバターをしっかり混ぜてから牛乳を少しずつ加えることです。
一度に入れると固まりができてしまいます。また弱火で忍耐強くかき混ぜ続けることもコツといえるかと思います。もし固まりができた場合は泡立て器でしっかり混ぜるか、ハンドブレンダーで滑らかにするなどの対策も。
プロックフィスクルは冷凍保存できますか?
冷凍保存可能です。ただし焼く前の状態で冷凍するのがおすすめ。密閉容器に入れて冷凍し使用時は自然解凍後オーブンで焼くと美味しく仕上がります。解凍時にソースが分離することがありますが加熱すると再び馴染みます。