アイルランドの伝統料理には、その土地の歴史や文化を映し出す魅力的な一品がたくさんあります。
中でも「ボクスティ」は、シンプルな素材から生まれた庶民の知恵が詰まった料理として今もなお愛され続けています。2025年、もう間近の大阪万博で食べられる世界の料理の一つとしてアイルランドのある意味代表として、ちょくちょくテレビやネットメディアなどでも放送されてきましたね。
外はカリッと中はもっちりとした独特の食感が特徴のこのポテトパンケーキは、朝食からディナーまで様々なシーンで楽しまれています。
今回はボクスティの意外に過酷な歴史的背景から基本レシピまでこのアイルランドの国民食を詳しく紹介してみようかと思います。
ボクスティの歴史
名前の由来と起源
sites.psu.edu
ボクスティという名前はアイルランド語(ゲール語)の「arán bocht tí」から派生したとされています。この言葉は直訳すると「貧しい家のパン」を意味します。つまりこの料理がもともと経済的に厳しい時代に生まれたことを物語っています。
18世紀後半のアイルランド、特にカヴァン県とドニゴール県を中心に広まったボクスティは、当時の生活の知恵から生まれました。余ったジャガイモを無駄にすることなく、限られた食材で栄養価の高い料理を作る工夫として、すりおろしたジャガイモとマッシュポテトを組み合わせる調理法が確立されたわけです。
この時代、ジャガイモはアイルランドの主食で、多くの家庭の食卓を支える重要な作物でした。
そのためジャガイモを最大限に活用する料理法としてボクスティは重宝されたのです。もちろん味自体も美味しい料理なのですが、飢饉や貧困が続いた時代、家族を養うための貴重な料理として、世代を超えてアイルランドで受け継がれてきたというわけです。
ボクスティと地域文化
ボクスティはアイルランド全土で知られていますが特に北部地方、コナハト(Connacht)とアルスター(Ulster)地方で強く根付いています。
これらの地域では家庭ごとに独自のレシピがあり調理法や具材にわずかな違いが見られることも珍しくありません。
アイルランドの伝統的な祭りやイベントではボクスティが特別な料理として提供されることがあります。例えばケルト文化の新年を祝うサムハイン(Samhain、現在のハロウィンの起源)や、春の女神ブリジッドを称えるブリジッドの日(St. Brigid’s Day、2月1日)には、家族や地域社会の絆を深める食事としてボクスティが食卓に並んだりします。
ちょっと差別的表現となってしまうかもしれませんが、古いアイルランドの諺には「ボクスティが作れなければ、男をゲットできない」(”Boxty on the griddle, boxty on the pan; if you can’t make boxty, you’ll never get a man”)というものがあるほどです。
これは、ボクスティを上手に作る技術が家庭生活において長く重要視されていたことを示しています。若い女性たちは母親から伝統的なレシピを教わり、その技術を次の世代に伝えてきました。
わかりやすく日本で例えるなら肉じゃがのようなポジションの料理といえるのではないでしょうか。美味しく低コストで、更に飽きがこない、なんというか絶妙ポジションです。
ボクスティの材料と基本レシピ
ボクスティの魅力は、シンプルな材料から生み出される豊かな味わいにあります。地域や家庭によってレシピに違いはありますが、基本となる材料と調理法を見ていきましょう。
基本材料とその役割
ボクスティの主な材料は以下の通りです:
- ジャガイモ: 生のジャガイモとマッシュポテトの両方を使用します。生のジャガイモはすりおろして水気を絞り、マッシュポテトと混ぜることで独特の食感を生み出します。
- 薄力粉: 生地にまとまりを持たせ、パンケーキのような形状を保つために使用します。
- ベーキングソーダ: 生地を膨らませる働きがあり、もっちりとした食感を作り出します。
- バターミルク: 乳脂肪分を除去した後の乳製品で、ほのかな酸味と独特の風味をボクスティに与えます。ベーキングソーダと反応して生地を膨らませる役割も果たします。
- 塩: 味を調えるため。
- バターまたはオイル: フライパンで焼く際に使用します。
以上です。
もしかしたらジャガイモとバターミルクだけ買ってくれば今すぐ調理できる人も多いのではないでしょうか?これらのシンプルな材料が組み合わさることで、外はカリッと、中はもっちりとした独特の食感が生まれます。
特にジャガイモの使い方が重要で生のすりおろしたジャガイモとマッシュポテトを組み合わせることが、ボクスティ特有の食感を作る秘訣となっています。
伝統的な調理法
ボクスティの調理法はシンプルですがその過程には小さなコツがいくつかあります。以下に基本的な作り方を紹介します:
- 生のジャガイモをすりおろし、清潔な布やキッチンペーパーで包んで水気をしっかりと絞ります。
- 別のボウルにマッシュポテトを用意します(前日の残りのマッシュポテトを使うこともあります)。
- すりおろした生のジャガイモとマッシュポテトを混ぜ合わせる。
- 薄力粉、ベーキングソーダ、塩を加えて更に混ぜ混ぜ。
- バターミルクを少しずつ加え、なめらかな生地になるように混ぜます(生地の硬さは、薄いパンケーキから厚めのパンケーキまで、好みによって調整します)。
- フライパンまたはグリドル(平たい鉄板)にバターやオイルを熱し、生地を広げて中火で焼きます。
- 片面が金色になったら裏返し、もう片面も同様に焼きます。
伝統的には鉄製のフライパンやグリドルで焼くことが多くこれによって外側はカリッとした食感になります。熱源としては、かつては暖炉の炭火や泥炭(ピート)の火が使われていましたが、もちろん現代ではガスコンロや電気コンロが一般的です。
地域によるバリエーション
アイルランド国内でも地域によってボクスティの作り方には様々なバリエーションがあります:
- パンケーキスタイル(Boxty Pancake): 最も一般的なタイプで、生地を薄く広げてパンケーキのように焼きます。北部のアルスター地方で特に人気があります。
- パンスタイル(Boxty Bread): 生地をパン型に入れてオーブンで焼く方法で、スライスして提供されます。コナハト地方の一部で見られるスタイルです。
- ダンプリングスタイル(Boxty Dumpling): 生地を小さな団子状に丸め、沸騰したお湯で茹でる方法です。茹で上がったら、バターで焼いて仕上げることもあります。
- ボックスティ・ロールス(Boxty Rolls): 生地を棒状に成形し、まず茹でてから薄切りにし、フライパンで焼き上げます。
これらのバリエーションはその地域の食文化や好みを反映しており、それぞれに独自の魅力があります。例えば、リトリム(Leitrim)県やカヴァン(Cavan)県では、より厚めのパンケーキスタイルが好まれる傾向があります。
ボクスティの現代的な楽しみ方
伝統料理であるボクスティですが、現代のアイルランドや世界各地で様々なアレンジが加えられ、新しい楽しみ方が生まれています。
様々な食べ方とアレンジ
ボクスティは一日中どの食事にも合う万能料理です。朝食からディナーまで、様々なシーンで楽しむことができます:
- 朝食やブランチ: 伝統的なアイリッシュ・ブレックファストの一部として、ベーコン、卵、ソーセージと共に提供されます。また、ジャムやはちみつなどの甘いトッピングと一緒に食べることもあります。
- ランチ: 軽いランチとして、サラダやスープと一緒に提供されることがあります。特にサワークリームやハーブを添えて、美味しくいただけます。
- ディナー: メインディッシュの付け合わせとして、または前菜として楽しまれます。特に、ラムのシチューや煮込み料理と相性が良いとされています。
現代では、伝統的なレシピに創造的なアレンジを加えることも珍しくありません。例えば、チーズやハーブを生地に混ぜ込んだり、様々なトッピングを試したりと、料理人や家庭料理愛好家によって新しいバリエーションが生み出されています。
特に注目すべきアレンジはボクスティをベースにした「ボクスティピザ」や、小麦粉の代わりにグルテンフリーの粉を使用したヘルシーバージョンなど、現代の食のトレンドを取り入れたものです。
おすすめのトッピングとペアリング
ボクスティの味わいを一層引き立てるトッピングやペアリングには、以下のようなものが。
伝統的なトッピング
- サワークリームと青ネギ(シブレット)
- バター(特にアイルランド産の塩入りバター)
- アイリッシュ・ラッシャー(特有の厚切りベーコン)
現代的なトッピング
- クリームチーズとスモークサーモン
- アボカドとポーチドエッグ
- グレイビーソースとソーセージ
- 蜂蜜やメープルシロップ(甘い味わいを楽しむ場合)
ボクスティと相性の良い飲み物
- アイリッシュ・ブレックファストティー
- バターミルクや牛乳
- アイリッシュビール(ギネスなど)
- アイリッシュウイスキー(食後に)
特にアイルランドの老舗パブやレストランでは、地元産の食材にこだわったボクスティと、アイリッシュの伝統的な飲み物を組み合わせた美味しい食事を楽しんだりします。
ボクスティレストランと商品化
近年、アイルランド国内外で「ボクスティ」を名前に冠したレストランやカフェが見られるようになりました。特にダブリンにある「Gallagher’s Boxty House」は、1988年に開業して以来、伝統的なボクスティと現代的なアレンジの両方を提供し、観光客と地元の人々に人気のスポットとなっています。
また、スーパーマーケットでは既製品のボクスティミックスや冷蔵・冷凍のボクスティパンケーキも販売されるようになり、家庭でより手軽に楽しめるようになりました。一部のメーカーは、ボクスティの生地を使った新しい商品開発も行っており、例えばボクスティラザニアや、ボクスティで巻いたロールなども市場に登場しています。
アイルランドの食文化を代表する料理として観光産業においてもボクスティはアイリッシュ・フード・ツアーやクッキングクラスの重要な要素となっています。訪問者がアイルランドの伝統的な家庭料理を体験する機会として、ボクスティ作りのワークショップなども人気です。
ボクスティQ&Aコーナー
Q: ボクスティとポテトパンケーキの違いは何ですか?
A: ボクスティの最大の特徴は生のすりおろしたジャガイモとマッシュポテトの両方を使用することです。一般的なポテトパンケーキは、どちらか一方のみを使うことが多いです。この組み合わせにより、ボクスティは外側がカリッとしつつも、内側がもっちりとした独特の食感を持っています。また、ボクスティにはバターミルクが使われることが多く、これもアイルランド特有の風味につながっています。
Q: グルテンフリーのボクスティは作れますか?
A: はい、小麦粉の代わりにグルテンフリーの万能粉やジャガイモでんぷんを使用することで、グルテンフリーのボクスティを作ることができます。一般的な置き換え比率は1:1ですが、生地の硬さを見ながら水分量を調整することをおすすめします。
Q: ボクスティは前日に準備することはできますか?
A: 生地を前日に準備することは可能ですがすりおろしたジャガイモが空気に触れると変色する可能性があります。前日に準備する場合は、生地を密閉容器に入れ、表面にラップをぴったりとかけて冷蔵保存しましょう。また、焼き上がったボクスティは冷蔵・冷凍保存も可能です。
Q: バターミルクがない場合、何で代用できますか?
A: バターミルクがない場合は、普通の牛乳250mlに対して、小さじ1の酢またはレモン汁を加え、5分ほど置いておくと代用品ができます。また、プレーンヨーグルトを同量の水で薄めたものも、バターミルクの代わりとして使用できます。
まとめ
ボクスティはシンプルな材料から作られながらもアイルランドの歴史と文化を色濃く反映した料理です。その起源は貧しい時代の知恵にありますが、現代ではしっかり目のレストランのメニューにも登場する人気料理となっています。
外はカリッと中はもっちりとした独特の食感と、アレンジの自由度の高さが、世代を超えて愛され続ける理由でしょう。アイルランドの伝統料理を試してみたい方、ジャガイモを使った新しいレシピを探している方はぜひボクスティ作りに挑戦すると楽しいかと思います。
家庭で手軽に作れるこの料理を通じ大阪万博に行ってでも、大阪万博に別に行かないでもアイルランドの食文化を感じていただければ幸いです。